赤と黒観てきました。

赤と黒といえば、高校生の頃に読もうとしたものの余りの陰鬱さに飛ばし読みさえ途中で放棄したような(それさえ定かではあらず)


…初演は見てません。
なので想像していたよりもあっさりとした作品に仕上がっていて、肩透かしを食らったような気がするのは、近年はさらに重苦しくて陰鬱な作品を見る機会が増えたからでしょうか(オギーとかオギーとかオギーとか)(小声)そして想像していた以上に古くさい…いやいや時代錯誤なものを観てしまっているような空気が客席中に広まってました。確かに180年近く前にフランス人が書いた小説を30年前に日本人が日本人の感性で脚色したものを今ほぼ手を加えずにやって、現代の感覚にぴたりとあうわけもないわけです。


…もしこれを5年前の星組でとうこちゃんが2番手時代の青年館公演で観ていたら、今と感想が違うかもしれないと思うのです。
「いやそこ別に笑うところじゃないし」みたいな客席の笑いがシリアスな芝居の空気を損なっていたとのが悔しい。
シリアスな芝居が続いた後にふっと力が抜けるような小さな笑いはエッセンスとして必要不可欠だと思うのですが、そこをアドリブなんかで笑いに走らせようとしたりとかするのがどうにもこうにも…(アデューの酔っ払いさんとか、千秋楽の春野さんの「(雪だるま石鹸をみて)ソックリだな」とか…苦笑)だったのですが、今回の舞台を見てコレといったアドリブも笑う必要もない場所で笑う人たちを見て、もう客席自体がそれを求めてるんだなーと痛感した次第です。時代錯誤なのは自分だったんだ!!(笑)(項垂)

ジュリアンソレル。
宝塚にはトップ制度があり、その特徴の一つとしてどの舞台にしてもトップシステムが見える状態で作り上げられていることがあげられると思います。
そこでトップに上り詰めてしまった人はどれだけ演技派であろうとジュリアンの貪欲な野心をそのまま表現することは不可能に近いと思うわけです。

とはいえ、とうこちゃんの歌には説得力がある。独り舞台に残って赤と黒の幕前で歌うとジュリアンそのもの!レナール夫人とのやりとりも嘘がなく惹き込まれる…しかし他の役者たちに囲まれた芝居になるとなんとなく釣り合わない。
笑いが起こる。
気持ちが殺がれる。(だって笑いが起こるのもわかるから)
…歌になる。また入り込む。
以下エンドレス。


個人個人を見たらキャストも嵌っているし古くても面白いし…「恋は曲者〜オンナは魔物〜」のカルテットなんて新源氏物語の雨夜の品定めとほとんど一緒なことに今更気付いて、ああこれは柴田マンネリズムなのねなどと妙に納得してみたりするのですが。



…とかなんとか言いながら飽きる暇なく楽しませてもらったし、良い舞台を見せてもらったなーと満足してるんですけどね。