仮死状態のブログになっていますが
ブログだけじゃなく私も死んでました…(項垂れ)

体調はすこぶる低空飛行で、セーブしたまま毎日を過ごして、あと少しで充電切れよとなったら5分充電してまた低空飛行…みたいなそんなイメージで日々過ごしてました。

会社から帰るともうぐったりで夜9時くらいから寝てしまうという老人かと思うほどの早寝っぷりです。(それでも朝起きれないのは何故だ)(毎朝布団の中で葛藤)…そしてここ数週間リンパ腺と扁桃腺が腫れっぱなしです。





と自分の不調っぷりを棚に上げて、春野さんの宝塚でのお稽古場最終日も駆けつけて参りました。
イベントは外しません…という意地もあったと思いますが、節目節目をしっかり見届けないと自分の気持ちに整理がつかないことをわかっていたからなのでしょう。
自分の体調等も考え散々迷った挙句、結局行くことにしました。
(そして星組さんも観てきましたよ!)


空港に行くまでのバス。何度私はこのバスに揺られ夜が明け日が昇るのを見てきたでしょう。
朝日は眩しくて、日が昇る時間の差に季節を感じ…

飛行機に乗り、決まってクラシックチャンネルをつけては脳みその膿を出し切りリラックスして宝塚を楽しむための下準備。

モノレールに乗り阪急電車に揺られ、或いはバスに揺られ、宝塚につくまでの間が待ち遠しくて平静を装っては窓の外をしきりに眺めていました。



花のみちの木々も花々も季節と共に姿を変えて迎えてくれました。

明るい日差しに透き通る風、穏やかにゆっくりと流れる時間。


こうして春野さんに会うために宝塚に来ることはもうこれで最後なんだ、と。


そう思うと目に入る全ての情景が愛しく思えて、
最後の日の穏やかな風景をゆっくりと見つめたり、目を閉じて風の感触を肌で感じとったりしながら春野さんがお稽古を終えるのを待っていました。



最後の日も変わりなく穏やかな笑顔でたくさんのファンの手紙を受け取り、何度も振り返っては手を振って稽古場に入っていった春野さん。

お稽古の後お仕事があったらしく花組の皆よりも遅く、とうこちゃんとほぼ同刻にお稽古場から出てきました。
一人一人のファンの顔を見ながらクッキーを手渡しする春野さん。
春野さんは穏やかだけれどいつもよりも優しい微笑を湛えていたのですが、クッキーを貰ってから走り去るファンの人たちの笑顔がまた本当に可愛くてね。幸せいっぱいなんです。
ああ自分もこんな顔して走るのかな、なんて思いながら(多分走ってたと思います…笑)その様子を遠くから見つめているのが何よりも幸せでした。
宝くじが当たったってこんな笑顔にならないと思います。自分だけの喜びではなくて、皆が等しく同じ時間に幸せを感じている…それを分かち合い共有する…温かくて優しい空気に満たされてました。
花のみちでずっと待っていたギャラリーの人たちの笑顔も優しく見えて、その温かさが胸に沁みました。



何のひねりもないただのクッキー。
だけど春野さんの手から渡されるだけでそれは魔法のクッキーになるわけです。(ああなんてベタな例え)


春野さんから手渡されるのならなんでもよかったと思うのです。
道端で拾った石でもなんでも春野さんの魔法にかかって、それは幸せの素になるんです。



それは春野さんが幸せだから、愛されてるから。



穏やかに小さな声で紡ぎだされる言葉は断片的にしか聞き取れなかったけれど
「幸せです」
「今の自分があるのは皆のおかげ」
「この思いを胸に12月24日の千秋楽まで頑張ります」

あの日別れを告げてきた劇団スタッフや稽古場の皆、
ファン、ファンクラブに入っていなくても
一度も生で観劇できなくても一度もファンレターを書かなくても
皆等しく春野寿美礼と関わりを持っているのだと思うから


その場にいなかったファンの人にも春野さんの言葉を伝えたい、と思いました。



ギャラリーのシャッター音だけが響く楽屋口。
花のみちからもどこからも雑音が聞えない、シン、とした空気の中で春野さんの声に耳を澄ませて



飾らない素の春野さんはこんな風に小さな声ではにかむように話すのかな…なんて思いながら。




もう東京の空の下。
春野さんに早く会いたいと毎公演待ち望んでいたのは初日前の舞台稽古。



東京で春野さんを迎えるのもこれが最後。