楽しみにしていたトークショーも終わってしまったわけです。
また春野さんの光君に会いたいと思って、その日が来るのを願えば、それはあさきの千秋楽つまり終わりを意味するのです。

一つ、また一つ過ぎていく時間。一つを為し終えて得る満足感と、ただこの時間をしっかりと心に重ねて行きたいと思う焦燥感と。


今回の遠征で久しぶりに会った光君。
初日から金粉を纏ったかのように眩く輝かんばかりの美しさや匂い立つ上品な色香に心奪われ、愛を求めて彷徨う彼の心の淋しさと儚さに胸を痛めて、幸せを祈るような気持ちで観劇しているため、客観的に言葉に表現することがなかなか出来ません。

彼を取り巻く一人一人の女人の心にシンクロしつつ、光の君を愛します。
そしてそれと同時に光君が求め続けた愛の容を一緒になって探してしまうのです。

藤壺の宮。彼が初めて愛した人であり、そして彼が愛せば愛する程不幸になってしまう人。
そして彼女の姿をずっと探し続けてきたんだから、最終的に好きだったのは藤壺の宮じゃないのか?ってずっと思ってました。春野さんの光君を彩音の紫を見るまでは。


藤壺が死んで、慟哭する光君。愛を失って泣き叫ぶ、まるで子供のように。
でも紫が死んだ時、光君の表情がないのです。
紫が全てだったから。比翼の鳥、連理の枝。二人で一つだから。全てを失うこと、悲しみの感情すら失くしてしまうほど、光君は紫の死を受け容れることが出来なかったのでしょう。

そんな光君を見ていると、胸が押し潰されるようで辛くて仕方がなくて、刻の霊の存在が初めて救いに思えるわけです。早く苦しみと孤独から彼を解放してあげて…、と。
刻の霊が藤壺の宮の死後に刻から光君を解放してあげなかったのは、紫の愛が自分が本当に求めて続けていたものだと気付いていなかったからなのでしょうね。


…いつもいつもどんな時も微笑みを絶やさずに待ち続けてくれた紫の上。
彩音の紫は春野さんの光君に型がぴたりと嵌っていて、(再演ものばかり続くのも切ないけれど)今こうやってオサ彩音で光君と紫の上、あさき夢を見られることの喜びを噛み締めています。