春野さんの歌声が劇場中を支配してしまう、あの時間が、あの空間が好きだ。




オギーとイケコ語りです。
基本的にオギー全肯定ですが、今日はいつもとは違う方向で。


オギーのショーは宝塚のショーとしては華やかさに欠けている。
まず衣裳が少ない。これは芝居を作っても同じ。かろうじてリュドヴィークは何着か着てたけど…レオンなんて1着でしたよ…?



オギーのショーは澱みなく次の場面に繋がっていき、余韻に浸る間も、拍手を入れる隙すらも与えない。ただ舞台の上に余韻を残しつつも次の場面に急展開していく。
ついて来れない客はそのまま置いてけぼりにして。


これはこれで私は好きだし、余韻に浸ってしまったまま次の場面に行ってもムリについていかないタイプのマイペース人間なので、さして気にならないのだけれど、ダメな人はダメだろうなぁ。


そこで、イケコですよ。
オサコンです。


客席を劇場中を春野寿美礼の深い歌声が支配する。
その後に続く間の取り方。
流れがあって、その流れの中で春野寿美礼が自由に泳ぐ。客席の心も自由に広がっていく。溢れ出す熱気、止まらない拍手。イケコはこれすら計算に入れてコンサートを作っていたんだ。
そんな遥か先を見据えて計算されつくした舞台づくりにただ感嘆する。



オギーは自分の意図するところをあえて深く説明せずに作品の枠の中で出演者を泳がせる。
自由に、自由に泳がせる。
目標をあえて定めずに、泳がせる。
でも結局は枠の中。不自由を感じていた奔放型スター春野寿美礼は、枠を飛び出して思いのままに泳ぎ始めた。花組生もそれについていく…!
が。


客席の反応を、客席の戸惑いをオギーは計算していたのかどうか。



オギーの作品は好きな人にはたまらないものだけれど、それ以外の人にとってはどうか。万人受けする作品なんてありはしないけれども。



とりあえず、それでも私はJAZZが大好きだ。