(まるきり書き換えてます)
TUXEDOJAZZのお話です。


夢なのか現なのか、夜明け前を幾度と繰り返すうちにパレードになってようやく(現実に)目覚めていく……
そんなショーですが。



この間観劇したときにどっちが夢なんだろう…なんてぼんやり考えてしまったのです。
ひょっとしてコミカルで明るいボロボロなおさだくんや中詰やパレードのにこにこオサさんの方が現実で、アンタッチャブルやナイトジャズでかっこ良く決めてる方が夢だったりして…なんて。(まぁそれは多分ないと思いますが)そうやって見たらおもしろくて可愛いなー、幸せだなーオギーの毒気も薄れるなーなんて思ってみたり。
オギーったら今回のショーは毒気を抜いてオーソドックスにしたんじゃなくて、形式をオーソドックスにしただけなんじゃ…(でもぜんっぜんオーソドックスとはかけ離れてるけどな…)(猛毒)(毒には毒を)




そしたら、なんか気付いてしまった。


プロローグのオサさんのカゲソロ



貴女は知らない
寂しい時には こんなに近くに 僕がいることを



オサさんの姿を探す彩音ちん。でも彩音ちんはその声を探して袖にはけてからオサさんは窓から登場するんだ。


あー、オサさんひょっとしてプロローグから既に死んじゃってる役…?JAZZを愛したスターの霊ちゃん?(スダマちゃん言うな)


オギーの永遠のテーマの一つに夜明けと夜明け前…があると思います。
目覚める前の夢と現実の境を彷徨う夜明け前。


低血圧の自分はなかなかそういう時間帯に起きていたことは滅多にないのですが、モノを創作する人ってその時間帯が解放される頃だったりするんだと思います。
夜明けの空って神秘的で、未だ自分の知らない世界を感じたり…空の色だけなのに、なんとも言えない。


オギーは紫をよく使うのは(リュドイヴの紫とか)多分あれがイメージとして色に表れてるんじゃないかしら。(でも私はオギーじゃないので一方的な妄想ですが)
あと赤も不安感というか焦燥感の象徴なのか多用されている。マラケシュの赤い星とか、NIGHTJAZZのゆうちゃんの衣裳の色とか。…………血の色か……(震)
(でもプロローグのオサ彩音の赤は超カワイイんだがな!)


リュドヴィークが永遠の中で砂漠を彷徨い、イヴェットが夜明けを迎えるように。

TUXDOJAZZのオサさんは「真夜中少し前」のまま夜の中を彷徨い繰返し、彩音っちはオサさんを探し続け、明日に向かってしまうんだなぁ。
ただ時計の短針と長針のように、ぴったりとよりそい重なる時があって。ああ、それがたまらなく幸せなのだと思う。


ほんの少し巻き戻した針はやがてまた追い越してゆく。






そうそう、「JAZZは難しい」という春野さんに代わり、JAZZの歴史を少しかじってみました。え、ホントに僅かばかりです。音楽とか歴史とかめっぽう弱いので。
JAZZの辿った歴史自体がドラッグや酒、売春、自動車事故と縁が深いようです。
オギーは単純にJAZZナンバーを使ったショーを作るのではなく、JAZZの歴史、華やかさの内側に包まれた喧騒、狂乱、エロスや毒もしなやかさと強さも含めて作ったのですよ。



すげーーーーーーーーーーな、オギーーーーーーーーーーーー。



JAZZに春野寿美礼を宛てようとしたオギーは本当に凄いと。


…誰か春野さんにJAZZの歴史講座を開いてやってください(笑)
あっさりとJAZZへの苦手意識を克服できると思うのですが。