春野寿美礼が好きだ。
本当に大好きだ。




観劇、お茶会、翌日観劇して帰り道で知ったディナーショーの発表。
etude



試練は確かにそこにあって、宝塚的ではない芝居とショーと、でも春野寿美礼は与えられたものをそのままこなすのではなく、噛み砕いて客席にそこに込められたメッセージを伝えようとし、また、観客が感じる違和感が自分の感じるものと通じるものがあれば、脚本と演出と客席の溝を埋めるためにその身を削ってでも尽力する。


舞台に立つ為に生まれてきたのだと思う。
そして宝塚のトップスターになるべくしてなった人なのだと思う。
自分を見つめる観客のエネルギーを吸収し、自分のパワーに変換できる人。観客の反応をインスピレーションに加えてさらなる表現力を得る人。


疲労を隠せない公演後のお茶会、宴会場を埋め尽くしたファンの熱気に、見る見るうちに表情が生き生きと輝いていく姿と、翌日の公演の素晴らしさ。


緑川夫人がホテルから逃走する間際の発砲に身を伏せながらも、抑えることができないかのように口元から零れる笑み。それまで退屈でしかたないとぼやいていた虚ろな眼差しとは全く別人のように黒く輝きはじめたその瞳。
まさに「蘇った情熱」。明智のときめきがその黒い瞳の輝きから見えた。明智の表情からはまるで霧が晴れたかのように憂鬱が消え去っていく。


黒蜥蜴と自分しかいない世界に足を踏み入れていく明智がそこに存在した。


原作や三島版が有名であること、植え付けられた美輪明宏の黒蜥蜴のイメージから、陳腐に見えてしまう宝塚版脚本(脚色した設定しかり、さらには乱歩の描く世界としても宝塚歌劇の舞台としても中途半端な印象が拭えない)を受け止めて潤色していく春野寿美礼。公演が始まってもなお模索し続け、進化を遂げていく。


この人の持つ可能性が、計り知れない。


深化も低迷もする。しかし、一定の場所に留まることはない。限りがない。




これからもずっと、ずっと、変わっていく、けれど変わらない貴女の舞台を観続けていきたいと、改めて思った今日という日。
etudeにそんな思いを込めて。