今のこの幸せにずっと浸り続けることなく、新しい幸せを求めて歩き出す。と彼女は言った。


この幸せの気持ちもこの感動は、これからもずっと変わらず大切なものだけれど
けれど永遠に続くものではなくて、
だからこのしあわせな一時を忘れたくはないから、この感動を言葉にしたい。
言葉にしてあの感動を辿る欠片を残したい。




名古屋千秋楽。

約1週間ぶりに会えたホテルコンチネンタルに集まる人々。


プロローグで煙草を吸うウルフの余りのかっこよさに見惚れていたら気付かなかった。
煙草の煙を燻らせるウルフの瞳は冷たく、暗く何も写さない。
感情のない、瞳。


「オレは機械になろうと思った」


機械のようにロボットのようにターゲットを無情に殺していく。



スタンもその一人。そのターゲットの1つに過ぎなかったのに。
一瞬の躊躇。


ウルフが忘れたくなかったただ1つの記憶。温かな思い出。
皆から好かれて人気者だった優等生・スタンが自分の友達だったこと。
川辺で日の暮れるまで、日が落ちる時間を惜しむように遊んだこと。
大好きだった少年、憧れだった同級生。スタン。



するすると糸を手繰るようにあの時の記憶と共に甦る自分の感情。
捨て去っていた筈の人間としての感動。



もう人を殺せない。
これで最後だと思ったけれど、もう撃てなかった。



今までの罪を清算しようにも、自分の命も、時間もなかったから。
もう1度最初からやり直すことなど出来ないのだから。
だからほんの少しでもいい、一瞬でもいい、人間と触れ合いたい。
人間として過ごしてみたい。



スタンが自分にくれた優しさを思い出しながら、ウルフは街外れのホテルに足を踏み入れる。




そして、スタンは鳴り止まない携帯を見つめる。


自分がこんな目に遭ったのも、家族をめちゃめちゃにしてしまったのも
自分自身が抱えてしまったドロドロと澱み歪んだ思いに苛まれることも
全て、あの日から始まったことだった。



あの日の記憶さえなくせば、俺はあの頃の自分でいられたかもしれないのに。



そう、忘れてしまえればよかったのに。