WOWOWのプルミエールを見ました。
樹里オサです。
相変わらず、年上の先輩がいるとへにゃんとしちゃう春野さん。
とてもとてもキュートです。
イヴェットについて語るとき、何故か超どアップになるのですが
黒目にキラキラ星が輝いちゃうくらい目を潤ませて語るんですね…キュン。
もう完璧リュドヴィークに感情移入しちゃいながら話してます。
でも、ホントに切ないよなぁ。


この連休中、あまりにヒマだったので
ベッドの中でゴロゴロしながらルサンクの脚本を読んでました。
オギーの日本語の美しいこと!(ていうかオタクっぽいよね彼)(私好みのワールド)
華美というよりは耽美な単語の乱れ舞う様といったら!!(ウットリ)


あの単語たちを見てるだけで、オギーワールドにどっぷり浸れますね。
舞台で繰り広げられる美しい情景に意味があるんだよ!
さあ至るところからその意味をお好きなように受け取ってくれ!
と言わんばかりの放置プレイ。


「あぁっ!!オギー!!
  ♪待って…!待ってっ!! いかないで〜♪(byピエロたん)」
つい幻影(※オギー)を求めて走り出したくなるくらいの勢いで。



あ、で、脚本なんですが。
いい話ですね。
なんか新聞評とか見てるとあんまり評判は良くなくて(わかり難いとかなんとか)
「チェー、なんだよ、文句つけやがって」とかブチブチ言いたくなるほどの
マラケシュ信者なんですが。


ふぅむ。
まぁあえて「大衆演劇=もう少しわかりやすくするべき」というならば、
わかろうとするためのひっかかり部分をわかりやすく設定するべきかなー、とは思う。
舞台の奥行きをふんだんに使ってるから、芝居馴れしてない人にはちょっと難しいかも。


そこで、私が考えてみた「ひっかかり部分」はコチラ↓↓


イヴェットの寝室でイヴェットが手首を切った後、リュドとイヴのデュエット前に
ソニアとコルベットさん、リュドヴィークの間にほんの一言でも説明台詞があれば
あのひっかかり部分
(※リュドイヴの離れた10年の重さとか、
 さらにはソニアとコルベットとイヴェットのトライアングルの不安定さとか)
が、もっと明快になるんではないかと思うわけです。 


コルベットさんの父親としての感情で、リュドヴィークに一言促して欲しかったし
コルベットさんはずっとリュドヴィークのことを気にかけてるわけで
 それはイヴェットとのことを知ってるから、自分とソニアに重ね合わせてるんだと思うし
 出来ればなんとかしてやりたいと思ってたのかもしれないじゃない?)
 言葉になってないところでそういう深い思いを感じることは出来るけど、わかりやすくって言うから…ブチブチ。


ソニア→「あの子、ずっと自分で自分を苦しめ続けて………10年も」

とか。まー安直ですが。
でもそれだけの説明台詞で、初見で置いてけぼりにされる観客は10人くらい減るんじゃないかと。(たった10人とか言っちゃダメー)

 
シビさんが言ったら10年の重みがズシっときそうなきがするんだよね。
これがあすかとかオサが自ら言ってもそこまでの重みは表現できないと思うな。
やっぱり彼女たちは若すぎる。
パリから年がそんなに経過してるように見えないのは、そこらへんまだまだだなーと。
(甘く見て5年くらいの経過しか感じないもん)


忘れたい、と思ってる割には
イヴェットは金のバラを棄てられず(父親との贈り物でもあり、リュドヴィークとの最後の繋がりでもあり)、
リュドヴィークは遠いマラケシュに呼ばれ、バラの石を売り続ける。
デザートローズには縁を断つという意味合いもあるらしいけれど
断ち切ることなんか考えてないんじゃないか?と思うくらいずっと求めている。

多分、お互いが再会するまで
お互いが堕落していきながらも、ずっと0.1%くらいの希望に縋っていたんではないかしら。
希望、なんていう甘く前向きなものとは違うものかもしれない。
後ろ向きで惨めったらしくて。でも信じていたいもの。
2人が愛し合っていたということを信じていたかった。
だからずっとずっと引き摺っていた。

守るべきものを失ってダメになっていく自分と、過去に捕らわれて前に進めない自分。
愛が憎しみに近い感情になってもなんらおかしくはないくらいに時は経過しているのに。
でも求めつづけてたんだと思う。

だけど求めていたのはパリのあの日のあの2人。
あそこからやり直したいのに、お互いの10年は長くて遠かったんだと思う。

だからオリガとパリでやり直そうと思ったのも(脚本読んだら)すごく共感出来た。
イヴェットと上手袖で会っても、その意志が変わらないリュドヴィークの気持ちもすごくよくわかった。
(脚本上では)(←クドい)


最後は、イヴェットがソフィアを見て微笑むようになれたのは
両親が自分の両親だと名乗ることは無いけれど、愛に包まれてる実感も得られたことと

リュドヴィークに冷たくあたり、リュドヴィークが自分以外のモノになることを嫌がるような、
そんな幼くて我儘な自分を赦してくれるあの日のままのリュドヴィークに会えた事。

心の傷がすっかり消えてなくなることはないけれど
今までのように自ら抉り、抉られ傷を深く広げ痛みに捕らわれ続けることはなくなる。
残された傷を大事に治して…想い出に変えられるように、またマラケシュを出て行く。

また明後日観に行くので、その時にどう感じるか…楽しみにしようと思います。





………その前にエリザ観劇ですよ!(エー!!)