オギーの愛、憧憬=もやもやっとした登場ではないかと(もやもやて)

バビロンにおける白い鳩ちゃんがもやもやっと薄暗い中セリあがっちゃったりとか。
聖者の横顔におけるおかよさんがもやもやっと佇んでいたりとか。

今回のマラケシュにおけるもやもやはやっぱりすみれ様担当ではないですか。

ピンスポではなく、サスライトをあびて
もやーっと登場するリュドヴィーク。
主題歌なんてちょこっとしか歌わせてもらえません。

そこでもやーっと言葉無く薔薇を渡すんです。

そう、もやもやには言葉はいりません。
同じくベルベル兄妹ももやもやっとしてますねー。
あのモヤモヤ加減、語られなさ加減に、オギーの計り知れない愛を感じるんです。

シビさんとかハッチさんなんか放置プレイっすよ?(半笑)
あの脚本でどういう過去を背負ってきたのかとかちぃとも描かれてませんしね。

「背中においすがった嘆きを無視して」
若かりしシビさんの嘆きなんだろうと推察するわけですが、 
そこらへんサラーって歌詞を聞き流しちゃったら、それで完了しちゃうんです。
全く深みの無い舞台になっちゃいます。
見る人が深みを見出さなかったら「なんて簡単なスジダテの舞台」になってしまう。
そこが良いんです。大好きです。オギーLOVEv



ところで、芝居の最後に歌ってるのは「リュドヴィーク(幻)」なんですよ、知ってました?

リュドヴィークはこの砂漠で朽ち果てたのかな…なんて(勝手に)想像しては
胸を痛めたりしておりますが(←余計なお世話)
※ここらへんの解釈は人それぞれで。

サス浴びたリュドヴィークのなんと美しいこと。

コレ!
コレねー、「あーオギー見た」って気がするんですよ。
いや、頭に浮かんでるのはセリあがりの「白い鳩ちゃん」なんですけどね。
(すみません、白い鳩とハルノスミレなんかを同列に並べるつもりは毛頭ございません)
でも、綺麗じゃないですかー(ファンバカ)
リュドヴィークがね、故郷を捨てる前にきっとあったであろう
純粋で無垢で(シャロンデスカ?)
明るい夢を見ていた、そんな時代に帰るかのように。
サスあびて、顎をくいっとほんの僅かばかりあげて(白い咽喉元を晒して)(腐)
眩しく星空を見上げる姿。

そしてその表情はほんの少しだけ今生の苦しみから解放されたようにも見えて。
穏やかな微笑を浮かべながら砂漠のバラをアマンから受け取り、クリフォードに託す。

…彼の魂は永遠にこの砂漠を彷徨し続けるのか…(→プロローグのベドウィンに続く)

最後客席に背を向けて歩いて行く姿は「琥珀色のナンチャラ」にちょっと被りますが(失言)(台無し)



あー。
でもやっぱリュドヴィークとイヴェットの恋はいいですよ。
あそこの2人の引力があまりに強いばっかりに、オリガ周辺の結びつきが希薄に感じてしまう。
つーかイヴェットの周りは濃い人が多いだろ!
リュドは勿論、ソニア、コルベット、ギュンター、
そしてみおさん(エー)(不服でも?)(ないです)

オリガと1番強烈な結びつきを感じるのはクリフォードでもなくリュドでもなく(アッ)
伯母上、みたいな。(伯母上が1番濃いですから〜)その次はまっつかな、まっつ。
クリフォードはあーいう爽やかな役作りじゃなきゃいけないんですか?
もっと裏のある感じで見てみたかったんですけど…オギー!!!
爽やか担はまっつだけで充分じゃないっすか?
ゆみこ氏にはもっと裏のある爽やか夫を演じて欲しかったです〜もったいない。ぷり。

わけわかんなくなったところで、寝ます。
ぐー。