なんだかコメントレスも溜めまくりのまま放置プレイなブログになっていますが。



毎日毎日「私はこの人をずっとずっと好きだった」と思っています。
長くはないけれど決して短くもない間、そこそこ熱いファンでいた自分の心だけにある思いがあって、春野さんが「ファンの皆様を愛しています」と言葉にしなくても愛し続けていく自信があったからこそ、今こうして言葉にされることの淋しさを痛く感じているのです。




琥珀色の雨にぬれて、代役公演。
支えになんかなれなくてもいい、ただ、もし視界に入ることがあるならば「自分を応援してくれる人はこれだけいるんだ」と少しでも知ってもらって、明日のエネルギーのかけらになればいいと毎日毎日通い続けた日比谷の東京宝塚劇場
楽屋口で振り返らなくてもいい、手紙の手渡しなんてなくても構わない、笑顔なんてみせなくたっていい。
ただただ応援したい一心で劇場に入り込んだあの日々。




そして、あの日を知り支え続けてきてくれた人たちの退団、組替。なおも続く試練。


その度に穏やかな笑顔の奥に淋しさを感じてきたから。




入りや出で飛び込んでくる笑顔も
総見の時にマルセイユの夜空を見上げるように微笑む穏やかでやさしい眼差しも
ジェラールを見送るシモンが少し大人になる苦味を湛えた表情も、それを見守るジャンヌの温かな眼差しも
キンバラの叫びたくなるような熱い組子の思いが
スパニッシュの場面に込められた熱い思い熱いダンス
みわっちとみつるの春野寿美礼を見つめる眼差しが
モーレスクザミで聖母のように春野さんとの別れの淋しさをも包み込んで微笑む彩音の笑顔が
そして、春野寿美礼の歴史を見つめてきたいちかの思いの込められたエトワールと



全てが愛しくて切なくて





毎日があっという間に日が沈んで日が昇ってしまう。





言葉にならない思いをどうやって言葉にすればいいだろう?



たとえばオレンジと紫の色の混じった夕焼けの空の色が美しいと思う。その美しさと物悲しさに春野さんを思い出す。沖縄の砂浜で涙を流す春野寿美礼を思い出す。
胸の中は「ああ私は春野さんが大好きだ」という気持ちでいっぱいになる。



ずっと好きだったから。
これからもずっと好きだから。