休止予告の翌々日には30度を下回る涼しい気温に下がりました。
パソコンも妙な発熱をしなくなって一安心。
夜もエアコンなしで眠れるようになりました。万歳!



というわけで。
スカステでチャー様のラストディを見ました。
本日がファーストランだったようで…。


琥珀色の雨にぬれて/Cocktailは、私にとって演出やキャストの良し悪しなんかを語れるような作品ではありません。
ここをこうしたらいいのに、とかこれはこういう役作りであって欲しいとか…そういうことを語れるようなものではないのです。
チャー様の休演、そして春野さんの代役があったから。


あれから5年。
やっぱり、というよりも5年前よりずっと胸に痛い公演になっていました。



当時、チャー様の痛みと春野さんの痛みを同時に受け止めることが出来ないくらい幼かった自分は、春野さんの心を思い遣るだけで精一杯でした。
留守を守らなければならないプレッシャーと本意ではない0番の位置。彼女を思うだけで押し潰されそうなくらい痛かったのです。


そして今、こうしてラストディの映像を見ていると、当時の感情が蘇ってくるのと同時に、あの状況でああやって春野さんを抱きしめてくれたチャー様の優しさ、温かさ、大きさを痛い程に感じるのです。


もっと舞台に立ちたかっただろう、悔しかっただろう、
激しい痛みを伴う病の中で、人は他の人を思い遣れる程の余裕が持てるものなのだろうか。

正直私にはわからない。
その立場にならなければわからない思いだと思うから。
実際、私も当時と今で贔屓の立場が変わってようやく気付く思いがあるのだから。


たくさんの人の優しさがそこに溢れていた。
その優しさと愛に包まれて、チャー様はとても美しかった。
澄んだオーラを放ち、その澄んだ黄金色のオーラは抱きしめた春野さんの傷をも一瞬にして癒してしまうくらいに慈愛に満ちていた。


それなのに楽屋を出る時のチャー様は無理が祟ったのか具合が悪そうで
そんなチャー様の気配を察して春野さんの顔色がさっと変わるのがまたどうしようもなく切なくて。




そして、春野さんの5年に思いを馳せます。

人間だから、精神的にも肉体的にもしんどい時があるはず。
でもそれを観客に感じさせず(いや実際感じたときもあるんですが…)(って台無し)舞台に立ち続けて夢を見せ続けてくれたこと。

春野寿美礼に出会ってから、たくさんの夢を見ることが出来ました。本当にたくさんの夢。数えたら眩暈するくらいに…って観劇回数か!(確かにそれは超危険な回数の夢を見ていることに…)ま、お金も払って見てるわけですが(さらに台無し)
いや、でもお金を払ってない部分でもですけど。


ありがとう。オサさん。
だから明日も頑張ってチケット探しに奔走致しますよ。(結局はそれ)