ショー語りの前にゆみあす語りをば。(相変わらずネタバレまくり)


今回のゆみこはヒットです。猛烈なヒットです。
三塁打の勢いですよ!!


    後、一押しであることには違いないのですが………
    それはきっともうゆみこ本人の力ではどうにもならないところだと思うので
    ゆみこの前途が開けるようにと祈るばかりです。


で、ゆみこヴィットリオF。
天蓋つきのベッドに腰掛け、ジャスミンの花を片手に眠っているジュディッタの鼻をくすぐります。



!!!!!!悪戯っこのおぼっちゃまですよっ!!!!!!(喜)(悶)



そしてジュディッタ。
「…ん…くすぐったい…」(ここでジュディッタ眩しそうに顔を隠すのが激萌えツボ)
恥じらいのある乙女〜〜〜〜〜。



そこであれですよ、今回の№1の赤面名台詞!!!




「おはよう、お寝坊さん」



ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(倒)





不躾に部屋に入ってくるおばあ様(梨花)はまるでゾフィーのようでもありますが
おばあ様も甘い、いや半端なく凄い人です。
あの恥ずかしいカポーを見ても顔色の一つも変えません。天晴れ!


きっとお父さんとお母さん(※ヴィットリオとアンリエッタ)も赤面な夫婦だったから免疫が…(遠い目)



…しかし、二人の甘々で甘々な猛烈に激甘な朝は、結構爽やかに進展するのでありました。
ていうか朝ご飯も顔を洗うのも(化粧するのも)全部後回しかよ!みたいな。


ジュディッタ…なんて懐の広い女性なんだ…
あんな我儘ぼっちゃんを包み込む…まるで聖母マリア様。



聖母マリア様と言えばもう一人。
なるちゃんのフェリーチタですよ。


自分を棄てた夫を、恨まずに憎まずに、そして愛し続けるために、
狂ってしまった清らかな魂。


フェリーチタとジュディッタってリンクするなぁ。



あれ…(あっ)
やっぱりアンリエッタに母の面影がないのは(作品として)痛いかもしれない。


景子先生の3大原則使うなら、やっぱり「亡き母の面影を持った女性」に惹かれる(=一目惚れする)のが
観る者の共感を得やすいかな、と思うわけです。

まぁでもこの作品に描かれているヒロイン=アンリエッタは
貴族でありながらも没落してゆく貴族の未来を見つめることの出来た地に足の着いた女性
なのであるから、母の面影は全く持って必要ないわけなんですけどね。


だから、ヴィットリオの幼少時代&ニコラ達との関わりとアンリエッタとの恋物語との間に
物凄い違和感というか隔たりを感じるんですね。


アンリエッタとの恋に重きを置いてみる人は
「もう少しアンリエッタとの場面を増やして欲しい」
「書き込んで欲しい」と思うんだろうし

ニコラ達との関わり、革命運動やヴィットリオの幼少時代から母の思い出に
涙を搾り取られるものとしては(笑)
最後の結末が非常に受け入れがたいわけですよ。


私は言うまでもなく後者なんですが。


かといって、現代のゆみあすの役を削る?と問われれば
「いやっ!!!あれは絶対に必要ですから!!!!(赤面)」
と力説すると思います。

だって、あの現代のカポーがいるから中だるみしないで観られるわけですよ。
メリハリ。

  コスチューム物って、見た目はいいんですけど
  二人だけの芝居になった途端かったるくなりません?(私だけ?)

  私はあの大きなワッカのドレス着た人がゆるゆる歩いてると睡魔が襲ってくるんですが…。
  (※ベルばらの宮廷の場面やら風共はとても苦手です)



で、ジュディッタとヴィットリオFの続きなんですが(唐突)

私が1番好きな場面は
ジュディッタがお屋敷を黙って出て行こうとするのをおばあ様が止めるところ。
そしてヴィットリオFを呼びにやること。
そして呼ばれて出てきたヴィットリオFがそのジュディッタを見つけてかける言葉。


「ひどいな」


咎めるわけでもなく、責めるわけでもなく。
ユダヤ人とアーリア人の人種差別の前に身をひくことしか考えられないジュディッタと
ジュディッタにはとてつもなく大きな壁のような身分の違い。

幸せに円満に愛をいっぱい受けて育ったヴィットリオと
日陰で息を潜めて生きてきた(であろう)ジュディッタと。
 

その障害をなんてことないように受け止め、受け流すヴィットリオF。
きっと曽祖父様が運良く(爆)乗り越えてしまった障害と


自らの手で切り開こうとしていくヴィットリオFとジュディッタ…


あぁっ!!!現代のヴィットリオのがいい男じゃないか!!!(沈)


ゆみあす最高です。
VIVA!ゆみあす。