相も変わらずJAZZ深読み妄想です。(ホントに好きなんだな)(オギー&スミレ盲愛警報)


深読みアイテムそれは「帽子」。


プロローグでも中詰めもパレードも、皆が帽子被ってるのに帽子被ってないんですよ。春野さんだけ。
そりゃ春野さんトップですから〜特別なんでしょ?なんて普通に気にも留めてなかったわけなんですけどね、でも帽子がないのに帽子がある振付で踊ってるのが不思議だったわけです。超かわいいんですけどね。


で、帽子。春野さんはアンタッチャブルでもナイトジャズでも帽子を被って登場。アンタッチャブルは事故に巻き込まれるまで被ったまま。ナイトジャズは彩音が持っていってしまう。


今日の夜を永遠に繰り返し、夜明けを迎えられない春野さん。


「君となら迷わずにいけるだろう」と歌いつつも一人去っていく背中にも合点がいく。



春野さんは最初から死んじゃってる役ーこの世のものではない人、というのが今現在の見解。
だから窓から出て来るんだ!(笑)(いやそれだったら壁でもいいじゃんとか言わないでくださいお願いします)(窓から出てくることに関していろいろなブログを辿り諸説を拝読してはどれも大変感慨深いものばかりで、私のうすぺらい知識や感性ではとてもそんな深読みは出来ませんでしたよ…!!)


私が春野さんに抱く(舞台での)イメージっていうのがあるのですけれども、それがわかりやすく言うと「天の鼓」の虹人=竜神様なんですよ。
(ファンの人たちから石投げられそうですが)
人の容をした…でも人間ではないもの。優子先生に「音楽の神様がついてる」と言わしめた歌声には孤高というよりも神がかってるようなオーラがあるというか。オフの春野さんは自他共に認める(いや他者としてみれば認めづらいものがありますが)地味子さんなわけなんですが…。


だから春野さんはやっぱりJAZZの神様がこちらの世界に送り込んだ使いなのかな、と。虹人が人間として生まれてきたように、JAZZYな春野さんも同様ではないかと。
帽子がある時は生きている時。人間らしく欲望と愛の間で揺れ動いています。(そりゃもう虹人かと思うくらい)(同列で語るなとナイフが飛んできそうです)(ひぃぃぃぃ)
帽子がない時は…あちらの世界(=永遠に明けない夜)に入り込んでしまっていると。でもその世界に飲み込まれるようでいてその実逆に飲み込んでしまうようなJAZZの広がりが、凄いです。ナイトジャズの混沌(カオス)が。
神の子イエスキリストが十字架にかけられたような、そういうものに私は見えるのです。(ぶっちゃけ飛躍させすぎました、スミマセンby松公)
ただ、あれこそがJAZZを端的に表現している場面だと思うわけです。
余韻の残し方、そして、その後に続く彩音とみつるりせ&まっつ達の軽快なメロディと。
全て飲み込んでなおも明るく軽快に。



JAZZの申し子が春野さんだとすると、シビさんがJAZZワールドに置けるサリーちゃんのパパ………いやミンキーモモのお母さんみたいな感じですか。………ナンダソレ。
(キリストの例えはどこへ行ったんだ!)


シビさんと春野さんの歌声って、声質は勿論、歌への思いの込め方、心の乗せ方というか表現法もまた違うのに、二人とも暖かくて包容力があるんですよね。そのアプローチの違いが心地良いわけです。
だから二人の歌声の相乗効果によって、さらにさらに深く心が癒されるような音楽を奏でているのです。
まるで王蟲の金の触手に癒されるナウシカのような気分!!(…本日はアニメ特集ですか、そうですか…)





今日は「バビロン」見てたんですよ。
そうしたら、TUXEDOJAZZを思い出してしまいました。そりゃオギー作品だから当たり前といえば当たり前なんですけど。
コンセプトも雰囲気も全く違う割に、主役の存在の仕方が少し似ているような気がしたわけです。ただ、たーちんだけでなくあきちゃんの役目もオサさんが兼任してるっていう…(1人で完結)(春野寿美礼ですから〜)そういう違いはあるんですけど。


東京にやって来るTUXEDOJAZZがどう深化しているのか。
花組っ子(主に春野さん)の成長ぶりを楽しみにしたいと思っています。